外在化と健太郎、自分の薬をつくる

図書館に寄って「世界」の「プリズン・サークル」の連載を読む。

健太郎は能面のように表情がなかった、のか、そうか。。

 

「エモーショナル・リテラシー」、

自分の感情に気づいて、受け止めて、再統合する、、

なんか、概念として、知識として、触れたことはあったのかもしれないけど、

きっと入り方が違ったな。

いまこれ書いてて、「エモーショナル・リテラシー」という言葉が、

脳の表面じゃなく、目の下から喉のあたりにおりてくるような

気がする。

 

自分の感情に気づいて、受け止めて、再統合する、ということの

意味が、昨日「世界」を読みながら、1段下がった層で受け止められた‥?

みたいな

 

島根あさひのTCの人たちは、最初自分の体験を言葉にすることが

できないけど、周りの人が言葉にする姿に触れていて、それが脳で

概念で理解されて自分の体験が口から出てくるんじゃなく、

直接身体に浸透して、たまって、自分の中にあるものとくっついて、

言葉になって出てきて、その出てきた言葉(自分の言葉なんだけど)

を耳で聞いて脳に届いて、初めて言葉になった意味として理解する、

みたいな、

 

そんな感じ…?

 

いま書いててAHのことば頭に浮かんだ

 

(書き出すと、書き出す前には思ってなかった、でもわりと

 大事なキーワードが頭に浮かぶのは面白いな)

 

自分の中の何かが解きほぐされないと、

「周りの人が言葉にする姿に触れ」ても、

耳に入る概念としての言葉をジャッジしたりするのに忙しくて、

周りの人の姿が自分に浸透しない、のかな。

 

 

中島先生のヒプノセラピー行き始めた時は、

自分が「役に立たない」「人とつながれない」ことで頭がいっぱいだった。

それをどんなに「自分で」考えても、同じ場所をぐるぐるまわって

ヒートアップするばかり、出口がないどころか加熱する感じがあったと思う。

 

いまも「人とつながれない」ことでは頭がいっぱいだけど…

(そういえば、「役に立たない」ことに対する自責は薄れてきた…

 諦めや衰えかもしれないけど)

 

やってる最中は先生の誘導で浮かぶものを追うことばかり目に入って

俯瞰して見ることはできなかったけど…

 

表面より深いところにあるものにアクセスするための準備には

なったんだろうな…

 

身体へのアプローチのステップも、中島先生の所に通ったあと

すこーし角度が変わってきたもんな。

その時変わった角度はわずかだったけど、あれから5年近くたって、

わずかな角度の変更が、距離を生んでるのかもしれない。

 

いや、分析はいいよ。

 

自分の感情を味わいたい。

 

自分の感情を味わいたい。

 

「世界」の記事に出てきた人は、感情といえば「裏」という

言葉が出てきた、その後「いや、裏とかじゃなくて、

悲しいとか情けないとか楽しいとかそういうこと、それが

感情」と訂正するような感じになって、本人も「まちがっ

ちゃった」みたいな感じだったけど、

 

その人が「感情」という言葉から、なぜ「裏」と思ったのか、

受け止めてやりとりしちゃえばきっと短い時間だったろうので

あってもよかったのかな、なんて

 

彼にとっては「裏」という言葉が、

自分の肚の中にあるまだ言葉になってない何かと、

周囲に伝わる言葉の間にある大事な何かだったと思う

 

人に聞いた感情についての言葉をなぞって正解を出そうとして

しまうと、

 

自分の肚の中にあるものが、自分だけのものが、自分にしか

ないものが、自分にとって本当に大事なものが、

なんなのかわからなくなってしまう。

 

… 書いていてまた別の気づきが生まれたが、

 

自分の感情って、からまりあっちゃってて、自分では解きほぐせない。

違う視点、違う方向から、ここ赤いけどこれ何?とか、ここに端っこ

出てるけど、ここ引っ張ってみたらどうなるの?とか、やっている

うちに糸口が見えてくるものなんじゃないかな

 

でも、そもそもその「からまりあった何か」を、出して見せてみないと、

「これ何?」と聞かれようもない。

 

だけど、その絡まりあいの中にはそんなに良いものは入ってないだろうと

思うし、土台何が入ってるか自分でもわからなくてコントロールできない

んだから、出すのは抵抗がある。

 

▲ここまでわかってて意識的に抵抗するならまだいいけど、「とにかく

出さない」ことが自動的に作動するようになってしまっていると、

出せと言われても出せないし、なぜ出さないのかと言われても

説明できないよな…

 

「自分もそこにいていい」状態が確保された中で、

誰かがそれを出し、周りがそれを真摯に受け止めている姿を繰り返し見て、

安心してはじめて、出てくる、ものなんだろうな、と気づく。

 

それは、

周りが出してる→安心する→意識的にとどめていたものを解除して意識的に

出す、じゃなくて、

 

気がついたら出てる、 みたいな感じなんじゃないか。

 

 

自分の中にある裏の感情を絵にしてみた。

 

描き始める前はなんだか、クズ鉄みたいなものを想定していたのだが、

そしてもっと赤とか激しい色もどこかに隠れているのではないかと

思ったが、

 

思ったより どろっ と している。

スライムっぽい?

 

坂口恭平さんの「自分の薬をつくる」も、

てんてんさんがイラスト描いた本も、

 

「外在化」が大事・・・(そして多分そうするとおのずから沸く)

 

 

せっかくKMTにはまっており、KMTにもいろんな感情(しかも

繰り返す)がある。味わう材料にしよう。

 

あと、ちょっと前だと「バーフバリ」か笑

 

 

いつも何かに追われるようにして、同じ作品を何度も見ることが

できない傾向ありなので、繰り返せるものは貴重なサンプルとして

味わい尽くせるとよい。。