ありがたかった(から始まる5分間ジャーナル)

坂口恭平さんの本を読んでから、とりあえずアウトプットする

時間をとっている。

gnから珍しく電話がかかってきて、お母さんと妹さんが病気だと。

本人もウイルスの専門家なのでとても忙しいはず。心配していたら点滴を打ちながら仕事をしているそうだ。心配。

彼は外国にいて私には何もできない。心配でメッセージ送ったらいつものように「大丈夫」と、冗談で返してくれたりする。

彼と会ったのは思えばもう20年も前だ。私の、年に1度ぐらいしか会わないパートナー?に会ったことがある数少ない人。

心配、と、何もできない、ことを聞いてほしくなってtnにラインする。

私にべたべたはしてくれないが彼は心のあたたかい人だとは思う。

「身内のことは苦しく感じるだろうなあ」

「顔見知りだとどうも」

「身がいたい感じ」

「gnちゃんは女に冷たいけど家族にやさしそうな・・」

小さい頃両親が離婚し、お母さんと12歳下の妹さんを一生懸命

守ってきた、外国でひとりで何年も働いた、と書いたら

号泣のスタンプ。

分かち合ってくれてありがたかった。

 

▲ここまでで5分

 

愛の不時着見終わった。

最後は美しいスイスの風景の中で幸せそうなふたり。

耳野郎さんも自然の音を聞き、やさしそうな奥さんと平壌へ。

中隊4人組もかわいかった。

 

コロナで私個人的には孤独?な毎日だが、人と接しなくてすんで

自分を守って毒を吐くことも物理的な機会が減り、

obmtとか不時着とか愛情のあるあたたかいものに触れる時間が

多くなったので?少しは穏やか?かもしれない。

 

穏やかに落ち着くと、何もできなかった自分、勇気がもてず

人生を切りひらけなかった自分、語るべきものを何ももたず

人から顧みられない自分を静かに受け入れて愛せるようになる

だろうか・・?というかすかな糸口のようなものが自分の中に

見えてくる気はする。

 

仕事どこまで続けられるのか、、という不安と、

「いつかは〇〇できる」と自分をだまして先延ばしにしてきた

けれど「いつか」は来ない、という認識とが交代に来る。

 

「いつか」は来ない、ということに向き合えるようになったのは、

Pサークルを何度も見て、K太郎の姿を映像で追体験できたことが

大きいのかもしれないなあと思うが。