理解の網の目(2次創作の副次効果)

腐女子のつづ井さんは人気と聞いて読んだけど、その時は

あまりなじめなかった。

でも今kmtの2次創作にはまって毎日ネットをたどって読み進めて

みると、いわゆる「腐」の方は生臭くて受け入れられないのだが、

作品やキャラクターに対する愛情で満ちた世界に浸っているのが

精神衛生上すごくいい、というか、苦しい毎日をなんとかやって

いくための救いになっていることは実感としてあるかなあ

 

本作に書かれたわずかなセリフや小さなイラストにさらに

小さくかかれた目つきや手つきから、人物を掘り下げ、エピソード

や会話をふくらませ、新しい、時に本作より深いなあと感じる

人物描写やせりふがあったりして、

想像上の人物、二次元の人物ではあるんだけど、描き手から

その人への「愛情」がすごくしみてくる感じがある。

 

「愛情」って、ただ好き好きべたべたすることじゃないよな、、

少し距離を取って眺めているだけだって、その人のことをいつも

見て、ちょっとした場面を見逃さず、理解していれば、そばに

いなくたって深い愛情だ。

 

そして作品上の人物とファンを結ぶ線、ファン同士を結ぶ線が

網の目のようになって、よりそいと理解の網の目がはりめぐら

されてる感じがすごくいいんだなあ。。

 

つづ井さんはオタクの仲間が4人いて、それぞれハマる

対象やハマり方は別々だけど、推しについて話すと

もう止まらない、幸せなのだ。

 

私にはそういうことができなかったな。ドラマ見たり、音楽

聞いたり、人物や感情を味わうことができなかった。

話したいことがあふれて止まらない、ということもなかった。

知識として取り入れて偉そうにする、自分を守る材料として

しか文学や、ドラマや、映画や漫画を、他人の創作を、

見ることができてなかったんだなと、何回目かわからない

けど、今日はまた別の深さで気づく。

 

ひとつの作品を繰り返し読んだり見たりできなかった。

手っ取りばやく分類して自分の棚に収めて、その量で安心

するようなことを繰り返した。

 

私自身の中にあるものと、照らし合わせて、確認して、

また読み返して新しい発見をして、ということが、できなかった。

 

愛読書を何度も、擦り切れるまで読み返す、ということが

どういうことなのか全然ピンと来てなかった。

 

「あまねきみのり」(2次創作)読んだら、宇髄さんの本作の

シーンがまた違って見えてきたり。(弟とのこととか)

 

私自身が誰かに愛してもらえるのとは違うけど、

自分の気持ちにとってはいいことのような気がするな。