山でアベックの声・早池峰神楽の生活・百閒洞
山でアベックの声がすると「うらやましい」と思う
マテヨ、六門から入ってくる情報に価値づけはない
腑分けすると、多分最初は「楽しそうな声」ぐらいだ。
そこでやめておけばいいのに、うらやましいとかウルサイに
なるのは、私の中にできあがっている「反応系」が高速で
くっついてしまうんだな。
昨日自分が「被害者モード」に入っていると気づいたけど、
ネガティブな情報も同じ、高速で回っている被害者回路に
巻き込まれてしまうんだな
善心処回路をつくって自動的にそこはいくようにすればいい
被害者モードに入っていると「ゴミを拾うと傷つく」
善心処ならOKだし気分もいい
早池峰で好々爺のようだった佐々木タカシさん、生活すべてが
神楽なんだと。確かに生活が善心処モードでなかったら
神様なんかおりてこない
私は早池峰生まれの男ではないけれど、底流でつながりたい。
百間洞で働いているお兄さんと会話。北アで小屋番、南アに
うつって6年、小屋番歴20年。登山道整備その他、山小屋の
ありがたさを力説したら喜んでもらえた。若者にその価値が
なかなかわかってもらえない、と。
世代が変わるといろんなことが薄まっていく。それは仕方ないけど、
こういう出会いがあるから南アは好きだ。