生きてる意味あるのか→書くことの効用と母への感謝
朝twitterをめぐっていて京都で安楽死した林優里さんの記事に行きつく。
ALSは特殊な病気だが、身体が動かなくなって、いろんなことができなくなって、自分が周囲に返せるものがないのに、世話になったり金銭的な負担が続いたり、それが好転する可能性はなく、衰えていくのは明白、というのは、誰にでも訪れる加齢と共通点がある。
先週末実家に帰って、昼寝から目覚めたら暑い部屋で母と父がもめている。
母が従妹からもらった手紙に返信したい。
母は身の回りのことは十分できるし足腰も頭もしっかりしているが、手が震えて文字がきれいに書けない。PCの扱いは母より父の方ができるから、これまで父にサポートしてもらって文書やメールを作っていたようで、今回も父に助けを求めたのが、どうもうまくいかなかった様子。
父ももう89、ちょっと無理があるのだ…でも、以前はできていた。でもできなくなった。それがもどかしいのだと思う。ちょっと苛立っていた。
出かけるのが好きで好奇心旺盛な母、コロナでそれも難しくなった。でも実はコロナ前から運転をあきらめて車を廃車にし、旅先で転び、ということは少しずつおこっている。
そんな中で楽しみを見つけて日々前向きに気持ちを盛り上げているのはえらいと思う。これは本当に。
従妹への返信は、結局私が電話で聴き取って、代わりに送ることになった。
父がデイケアで不在の間に母が電話してきた。父にも気をつかってるんだね。
電話は午前中だった。以前なら昼休みに、とか夜に、とかかけてきたかもしれないが、そういう細かい話はだんだん抜けていくのかもしれない。
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この文章書き始める前は、
・安楽死の林さんの話
・相模原の植松被告のこと
・コロナで人と人との関わりがますます切れていくこと
・私自身の生の意味はあるのか、
という、下がる一方の思考回路だったけど、
母のこと書き始めたらその思考のループがちょっと違う向きになったな。
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書くことの効用と、母に感謝しないといけないな。