詩の世界

ご近所のナイスなカフェで催し。

詩が深い。

言葉が嘘に満ちて軽々しく信頼できなくなっていることに、逆に気づかされすぎてぎょっとする。日本語だって豊かな詩、精神、文化があるはずなのに、忘れ去られすぎて、継承されなさすぎて、恐ろしい。

今日はその詩が、身体をとおして語られた。文字で書いても美しい詩だけど、人間の声と楽器とで、リモートじゃなくてその場で、聴けたことの意味が大きいんじゃないかと思う。

知識はどうでもよく、その場に集まった人と知り合いになるとかもどうでもよく、あの場にいた自分自身が感じたことの方を何より大事にする感覚があった。

そういう経験をさせてくれた方には心から感謝する。あの場を経営している人。今日詩を紹介して唄った人。その人と様々な関わりの網の目を持っている人。

感謝し尊敬する。いつものコンプレックスはない。

 

良い時には誰もが優しく

悪いときには見向きもされない

己の罪にはひとりでしか向き合えない

どの時代にあっても

 

自分さえ自分のものではない

何が自分のものだと

誰に言おうというのか

愚か者よ、と師は言う

一体何を知った気になっているのか

 

 

まずは母音と言うけれど

本質から離れてしまっている

他人の言葉で祈りを捧げても

なんの効果があるだろうか

他者の目でものを見ようとしても

何も見ることはできない

両の目を潰すだけ