執着と統合

ここ1か月ほどkmtのことばかり考えているけど、

鏑丸が最後にカナヲのもとに行った意味を考えてしまう。

幼い頃のネグレクトと虐待で自分の意志や感情を手放して

しまったカナヲ、カナエが死んだ時は泣けなかったのだけど、

カナエが死んだことよりも泣けないことへの申し訳なさが

勝っていた。

自分より周り、自分の中から湧いてくるものより、自分が

どう受け止められるかに意識を向けて自分を守っていた。

 

その後人と関わり、成長して、強くなって、しのぶとの

関わり、炭次郎や伊之助と関わり、心から湧く涙で自分を

統合した。

 

カナエは何もかも「どうでもよかった」。死に瀕したら

どうなったかわからないけど、自分の生への執着を意識から

追い出すことで生きてきた。

 

kbr〇はigrさんの蛇だった。

igrさんを象徴するのは「執着」、極限まで狭められてしまった

生を全うしたい一心で、一族が殺されることを気づきながら

押し込めて生き延びた。

ネチネチしたしゃべり方、執着を象徴する蛇を首にまいたigrさん、

蛇なんかもう見たくもなかっただろうに、自分らしさを最も

発揮する型は「蛇」、執着に正面から向き合って、自分に

「その血が流れている」ことを深く自覚して、その罪深さを

深く自覚して、償うために、死ぬために生きていたigrさん。

 

カナヲは炭次郎、igrさんはmtrちゃんと、自分とは正反対の、

生来の明るさを持った人と出会って生を肯定できた。

 

カナヲとigrさんは生きる苦しさを裏返しで表現している面が

あるんだな。gtg先生がどこまで意識的にしたかわからないけど。

だからkbr〇の行き先はカナヲのもとだったんだな。。

 

風柱がくれた、っていうのも深読みするといい話だよな。

カナヲとigrさんにはほとんど接点はなかっただろう。

kbr〇がカナヲのもとに行けたのは、igrさんとカナヲの

両方を見ていてくれた人、高低差・広がりのある人の網の目の

結果なんだものな。

 

余計泣けるよなあ。

 

 

最近少し自分の「自我?」が、自分の「執着?」を離れて、

少し離れたところから自分を見ている感じがある。

人との関わりや自己嫌悪のなり具合も少しだけ落ち着いた

・・というか、相変わらず焦っているけど焦る自分を少し

離れてみて「はいはい焦っているな」と認めているというか。

 

瞑想しているわけでもないんだが、瞑想するとこういう

効果があるといわれていることが、少しだけ起こっている

気がするな。

 

在宅が多くなって人とのかかわりに追われる時間が減った?

obmtに浸って救われた?

3年目になった整体その他の効果がじわり上がってきた?

あとはicuj氏か。彼落ち着いてて感覚が私と近くて、

話しかけてくれたりもするのでちょっとうれしいよなあ。

 

このまま少しずつ成長していけるだろうか。